訪問日:2018/10/10
ウクライナに来た目的は主に2つありました。
1つはサッカーの試合を見ることと、もう1つはチェルノブイリ原発の見学ツアーに参加することです。
2011年には日本でも大きな原発事故が発生したため、関心のある人が増えたと思います。福島原発の周辺は一般人は立ち入ることはできませんが、チェルノブイリに関しては見学ツアーをインターネットから申し込むことができます。
私は直前で行けるツアーを申し込んだのですが、3日以内の予約だと値段が倍以上になることに気が付いたので、日程変更のメールを出しました。
予約が確定すると、前払いとして18€(2478円) 当日に現地通貨で1500クリブナ(約6000円)を支払いました。ツアー代には交通費とガイド代、現地での食費が入っています。
ツアー会社とのやりとりや、ツアーの案内は全て英語となるので、ある程度の英語力が必要になります。
メールでのやりとりは翻訳ツールがあれば問題ないと思いますが、ガイドの話は全部英語で聞き取らなければならないので、その辺りは個人で判断してほしいです。
シェフチェンコ大学前からツアーに出発
7時に集合場所であるシェフチェンコ大学前の公園に行くと、ツアー参加者らしき人が集まっていました。ガイドらしき人が現れると、みんなでバンに乗り、チェルノブイリ原発のある場所へと向かいます。
ツアー参加者は私の他にイギリス人の中年女性2人組と、アメリカ人とウクライナ人の男性2人組という組み合わせでした。
キエフを出発して2時間30分ほどすると、検問所が現れます。ここからは特別な資格を持ったガイドと、ツアー参加者しか入ることはできません。
ここでガイドが事務手続きをするのですが、手続きを待っている間に、隣接してあるお土産屋さんなどを物色していました。
写真は撮っていないですが、ガスマスクやステッカー、マグカップなど、原発に関するグッズが販売していました。値段に関してはここがウクライナとは思えないほど高かったです。
「チェルノブイリ」と書かれた看板の前で記念撮影。
ここからはずっと一本道の直線道路が続きます。人気がないのでかなり不気味な雰囲気を感じました。
途中では福島原発に関するモニュメントもありました。
道のわきに並んでいる斜線の入った看板には、チェルノブイリ原発事故によって住民がいなくなった町の名前が記載されています。
誰も住んでいないアパート。
検問所を抜けてからはガイドが放射線量を測るガイガーカウンターを取り出したのですが、ここにきて強い放射線量となる3.20ミリシーベルトを観測しました。
ここからは廃墟と化したかつての街の施設へと入っていきます。
かつてここは病院だった場所です。手前にある人形は観光客が後から置いていったものですが、なんとも不気味です。外は陽の光がまぶしく、木が生い茂っているのに対し、内部は対照的な雰囲気です。
爆発した4号炉を見学し、近くの食堂でランチ
そしてここが爆発した4号炉です。現在は石棺が上から覆いかぶさっていて、放射能漏れを防ぐようになっています。
近くの川には魚が泳いたのは驚きました。どこからか持ってきたのか、自然に住み着いてきたのかはわかりません。
ガイドさんが持っているのは、かつての4号炉の姿です。現在は石棺でおおわれているため内部を見ることはできない。手前には犠牲者を弔うモニュメントが造られています。
昼食は原発作業員が働く写真食堂で食べました。味は街中で食べるよりはあまり美味しくはなかったです。同じツアーのウクライナ人とアメリカ人の男性2人組は放射能を気にしてか、持参してきたサンドイッチを食べていました。
食堂の中は清潔に保たれています。やはり建物は人がいなくなると一気に朽ちていくのだなと感じました。
まぁそれ以上に大勢の人がここで働いていることに一番驚きましたが・・・
施設を出るときは上記の写真で放射線量を特定するようになっています。
5万人が住んでいたプリピャチの街を散策
昼食を食べたあとは、チェルノブイリ原発から約3kmの場所にあるプリピャチを目指します。この街はかつて発電施設で働く労働者とその家族を中心に約5万人が住んでいた街です。
事故が起きて30年以上経った今でも、多くの建物がそのまま取り残されています。
ここではガイガーカウンターの数値は8.57ミリシーベルトを計測しました。奥にある木には果物がなっていますが、絶対に口にしてはいけないとガイドさんから言われました。
ツアーのガイドさんが「Here is most dangerous forest(ここは最も危険な森)」であると説明していたのが印象的です。
これは壊れたジュースの自動販売機です。コップを持ってきてコインを入れると、ジュースが出てくるものらしいですが、こうしたタイプの自販機は初めて見ました。
廃墟になった遊園地のこの観覧車は、一度は見たことがある人も多いのではないでしょうか。
観覧車の乗り物の近くにいくと、10マイクロシーベルトという非常に多量な放射線物質が計測されました。
遊園地の次はかつて学校であった場所の内部に入ります。中にはでは木が生い茂っていて、改めて植物の生命力の強さがうかがえます。
教室内の内部。壁も朽ちてきていますが、書類なども当時のまま置いてあります。
ツアーの終盤では「ドゥーガ・レーダーと呼ばれる旧ソ連の弾道ミサイル早期警戒システムを見学しました。
原発事故により役目は終えてしまいましたが、間近で見るとその高さに圧倒されます。
以上でツアーは終了となりましたが、ガイドによると、土日は1000人くらいの観光客が押し寄せると言っていた。
「まるで本物の街だ」と皮肉っていたので、人の少ない平日にきておいてよかったと思います。
終わりに
ウクライナを訪れるひとは多くはないし、さらにチェルノブイリ原発に行こうとする人は珍しいと思います。
実際にウクライナの人はチェルノブイリ原発にはいかないようです。実際に行ったことを伝えると「とても危険だ」と皆同じ反応をします。
まぁ確かに自国で起きた事故でもあるし、私も福島原発に行きたいかというと、答えはノーです。
しかしチェルノブイリ原発を訪れた3年経った今でも、幸い元気に過ごしています。
キエフ市内にはチェルノブイリ博物館もあり、そこには福島原発に関する展示品も多くあります。
この記事を書いている現在、福島原発の事故から10年以上たったわけだが、すっかりマスコミも原発のニュースを取り扱わなくなりました。
今現在福島原発はどのようになっているか詳しく知っている人はほとんどいないのではないでしょうか?
海外へ行くと、未だに福島のニュースをよく見かけるのに、肝心の日本のマスコミが報道しないのはどうにも違和感があります。
芸能人の不倫のニュースなどよりも先に伝えるべきものがあるはずです。
福島原発の周辺もいずれはプリピャチのような廃墟になっていくのかも知れません。
チェルノブイリ原発ツアーは決して楽しい気分になれるツアーではないですが、こうした人類の負の部分を間近にみることができたことは良かったと思います。
コロナ渦の現在でもツアーは行っているし、ツアーによっては日本語のオーディオガイドも借りれるので、興味のある方は行ってみてはいかがだろうか。
訪問日:2018/10/10