2022年2月24日、ロシア軍がウクライナに侵攻しました。
既に多くの民間人が犠牲となっているようです。
その様子は日本でも大体的に報じられていますが、2018年に3ヶ月間滞在した自分としてはかなり心を痛めています。
アフガニスタンやシリアでもずっと前から戦争していますが、やはり自分が訪れた場所で戦争が起きるとなると心境は全然違います。
特にウクライナではたくさんの人と交流し、楽しい思い出がある場所です。
そんな場所が現在大変な状況になっていることに驚きを隠せません。
1日でも早く平和が訪れるのを祈ることしかできませんが、ここで私がウクライナに滞在したときの様子を写真とともに振り返ろうと思います。
この記事を読んで、少しでもウクライナについて関心を深めてくれる人がいれば幸いです。
旅のルート
ウクライナには3ヶ月間滞在しましたが、何度か出入国を繰り返しています。
始めはトルコのイスタンブールから飛行機で南部のオデッサに滞在しました。
ウクライナの街は、オデッサ→キエフ→リヴィウ→キエフという順番で滞在しました。
オデッサ(9月24日~10月2日)
オデッサの街
港町のオデッサはウクライナ第3の都市で、夏のシーズンになると他のヨーロッパの国から多くの人達がバカンスに訪れます。
しかし私が訪れたのは10月の初旬で、日本の冬に相当するほどの寒さを感じました。
街の中心部から30分ほどかけて海岸を散策しましたが、散歩をしている人を何人かみただけでした。
どうやらオデッサは夏のシーズンにこないとあまり楽しめないようですね。
モルドバとの国境
オデッサから一度ウクライナを出てモルドバへ向かいました。モルドバへ向かうバスの本数と人はあまり多くなく、国境に来ても車の往来はほとんどありませんでした。
戦争の始まったウクライナでは、この国境も大きく状況が変わってきているでしょう。
キエフ行きの寝台列車
オデッサからキエフへは夜行寝台列車を利用しました。
ライトアップされたオデッサの駅。
キエフへ向かう寝台列車と社内の様子。寝台列車ではあまり寝付けることはないのですが、この列車は思ったよりも快適で、8時間ぐっすり眠れました。
キエフ(10月3日~11月15日)
オデッサから約10時間寝台列車に揺られ、ウクライナの首都であるキエフに到着しました。
キエフ市街
キエフは1500年以上の歴史を持つ、人口290万人を超える大都市です。市の中心にドニエプル川が流れ、歴史的な美しい建築物が並ぶ街です。
街一番の大通りであるフリシャーチク。日曜日は歩行者天国になります。
街の中心部である独立広場。ここはニュースの映像でもよく流れるので見たことがある人もいるのではないでしょうか。
街の高台からは、ドニエプル川とキエフの街並みが一望できます。
キエフの教会
歴史のあるキエフには、西ヨーロッパとは異なる雰囲気の特徴的な教会がいくつかあります。
ソフィア大聖堂は、1037年に創建されたキエフ最古の教会です。
聖ミハイルの黄金ドーム修道院
アンドレイ教会
キエフの大学
日本の東大にあたる、シェフチェンコ大学。真っ赤な建物が特徴的です。
キエフ滞在中、日本語を勉強している女子大生と仲良くなり、大学の授業に参加させてもらいました。
グリンチェンコ大学
私がこの大学で知り合った学生のうち何人かは、2020年に日本で留学する予定でしたが、コロナの影響で断念せざるを得なくなりました。
そして現在では戦争で自分の国すらいられないような状況になってしまいました。久しぶりに連絡をとろうと考えましたが、かける言葉が見つかりません・・・。
キエフの宿
キエフでは「オリンピックホステル」という宿に滞在しました。
雑居ビルの16階にある宿で、オリンピックスタジアムを目の前に見ることができます。この宿でたくさんの人と交流しました。
オリンピックスタジアム
宿泊していた宿の目と鼻の先にあるオリンピックスタジアムでは、ウクライナリーグの試合も観戦しました。
このスタジアムは2018年にチャンピオンズリーグ決勝の舞台にもなったスタジアムです。
2月25日現在、戦争によりウクライナリーグの中断が発表されました。
1日でも早くサッカーの日常が戻ってくることを願います。
チェルノブイリ
チェルノブイリ原発のツアーにも参加しました。
この場所にもロシア軍が侵攻していることに恐怖を感じます。
もしこの場所が攻撃されたらヨーロッパ全体に危害が加わるでしょう。
ドニエプル川
キエフの中心を流れるドニエプル川と公園は、キエフ市民の憩いの場です。
夏には海水浴客でにぎわいます。
ドニエプル川沿いの公園であった猫とヤギ。戦争中の現在も元気にしているか心配です。
日本語センター
キエフ工科大学の構内には、日本センターと呼ばれる場所があります。
この場所では日本語の書籍や日本のけん玉などの日本の伝統的な遊戯、文化を学べます。たまにイベントの催しも開催されます。
私は日本センター働いている中村さんという方からいろいろとお話を伺えました。
現在の中村さんの様子はわかりませんが、無事を祈るばかりです。
リヴィウ (11月15日~11月18日)
リヴィウの街
ウクライナの西部にあるリヴィウには、別の国で出会った日本人と一緒に向かいました。
リヴィウの街は大学の卒業旅行で訪れたイタリアのフィレンツェに似ています。
街がコンパクトにまとまっていて無駄がなく、建物に統一感があります。
ウクライナ人の多くはロシア語を話しますが、リヴィウの人はウクライナ語を話すのが特徴です。
リヴィウ中心部
高台から見たリヴィウの街並み
ビール工場
ウクライナのビールは、「リヴィウスケ」というビールが有名です。私もウクライナ滞在中に何本も飲んでいました。1瓶で約40円という破格の安さです。
そのビールはリヴィウで生産され、工場見学ができます。
入場料は60クリブナ(約240円)です。
4種類のビールと、おつまみとしてポテチとソーセージを頼んで約1200円でした。
ポーランドとの国境
リヴィウからバスで1時間ほど西へ走ると、ポーランドとの国境に到着します。
写真の通りポーランドとの国境の道路は狭く、出入国者に対して職員の数が足りていないようでした。
おそらく現在はポーランドへ逃げる人で殺到しているでしょう。
平常時でさえ出国に時間がかかったのに、今はどういう状況になっているのでしょうか。パスポートチェックや荷物検査している場合ではありません。
キエフ(12月4日~12月13日・12月22日~1月6日)
バー
キエフ滞在中は、AM Barと呼ばれるバーでよく飲んでいました。
バーなのにビール1本200円という安さです。
ここで日本人の旅行者や現地のウクライナ人とたくさん語りあった思い出があります。
旅で一番思い出に残るのは、やはり人とのコミュニケーションです。
日本食
キエフには、麺屋武蔵と呼ばれるラーメン屋が市内に何店舗かあります。
日本語を勉強している学生はしょっちゅうここで食べるようで、私も日本食が恋しくなったらよく食べに行っていました。
クリスマスの雰囲気
日本のクリスマスは12月25日ですが、ウクライナは1月7日にあります。12月後半から1月の前半までクリスマスムードが続き、広場には屋台やイベント会場ができて大勢の人で賑わいました。
私も日本語を勉強している女子大生と楽しいひと時を過ごせました。
年越し
年越しは、キエフの空港近くにアパートを借りて、ウクライナの人達と一緒に過ごしました。外では花火が打ちあがり、テレビを付けると新年を祝う歌番組が放映されていました。
ボリスポル空港~帰国
キエフ中心部からバスでボリスポル空港へ向かいます。
ウクライナで仲良くなった人の中で、空港の近くに住んでいる人がいます。
2022年2月24日現在、ロシア軍がこの空港を制圧したとのニュースを聞き、かなり衝撃を受けています。
周辺地域の住民の安全を祈るばかりです。
約3か月、一生に残る思い出を多く残し、年明けの2019年1月6日にウクライナを離れました。
ウクライナの冬は寒さが厳しいので、いつか夏の時期に再訪したいと思いながら帰国の途につきました。
おわりに
以上、当時の写真とともに平和だったときのウクライナの様子を振り返りました。
ウクライナは日本から遠く、多くの日本人には馴染みのない国でしょう。
しかし私にとっては特別な思い入れのある国です。
ウクライナのことに関して、対岸の火事だと思っている人もいるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか?
北方領土の問題も抱えていますし、ロシア東部と日本はかなり近い距離にあります。
ロシアがウクライナを攻撃して、西側諸国は非難していますが、ウクライナを助けるような様子は見受けられません。
日本にはアメリカ軍がいるからといって、いざ有事になったときに、守ってくれると思いますか?
普段平和に過ごしている日本人も、もっと戦争や国際問題に興味を持ってほしいですね。
最後に、ウクライナの人達の無事を願うとともに、一刻も早く平和が戻ってくることを望みます。