【いじめの本質】”いじめとは仕事であり、娯楽である”

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こんにちは、yamです。今回は、自分が前からいじめについて考えていたことを記事にしました。

ここでは「いじめを減らすにはどうしたらいいか?」というような正義感のあるようなことを述べるつもりはなく、いじめの本質的な部分について書いていきます。

特にいじめられている人は、「なんで自分がいじめられているんだろう?」と感じている人がいると思います。そんな人に少しでも参考になれば幸いです。

目次

小学生のときにいじめの現場を目撃して思ったこと

最近では見かけませんが、自分が小学生の頃は友達の家に集まって缶蹴りをしていました。

缶蹴りの鬼というのは大変で、隠れている人を見つけるだけでなく,缶が置いてある場所まで戻って一定回数缶を踏まなければ捕まえたことにはなりません。

せっかく4人捕まえて、あと1人捕まえればクリアという場面でも、缶を蹴られたらまた最初からやり直しです。(冷静に考えるとずいぶん酷いゲームだなと思います)

最初のうちは公平に鬼を決めて楽しむのですが、段々とマンネリ化してきて、飽きてしまいます。そういった状況の中で、誰かがマンネリ化した状況を打破しようと、特定の人をハメようとすることを提案しました。

ターゲットになったのは同じクラスのぽっちゃりした子で、普段から太っていることをからかわれている子でした。

その子が鬼になってからは、誰かが捕まっても、鬼がどこにいるのかをみんなで共有するようになります。

鬼がどこにいるか伝える人、わざと見つかっておとりになる人、鬼が空き缶から離れたのを見計らって空き缶を蹴りに行く人という風に、役割分担を決めてチームプレーをすることが可能です。

こんな風になるといつまでたっても全員捕まえることなど不可能になります。誰かが缶を蹴るたびに歓声があがり、鬼役になった子はだんだんやる気を失い、まわりがグルになっていることに気づき、最終的には泣きながら家に帰ってしまいました。

これは厳格にいえば世間でいう「いじめ」というものに分類されるでしょう。

いじめと仕事は似ていて、娯楽でもある

こんなタイトルを入れたら炎上するかもしれませんが、仕事といじめの共通点を挙げていこうと思います。

①役割分担がある

ほとんどの仕事は複数人で行うもので、それぞれ役割分担が決まっている場合が多いです。それと同じようにいじめも多くの場合が複数人によって行われ、役割分担があります

わかりやすい例えでいうとダチョウ倶楽部のおでん芸があります。(あれはコントですが、似たようないじめのケースはどこでも起きていると思います。)

いじめのターゲットは上島竜兵で、寺門ジモンが上島竜兵を押さえつける役、リーダー(肥後さん)が上島竜兵に熱々のおでんを押し付ける役というように、役割分担が決まっているところが共通しています。

おでん芸に限らず、学校で先輩やクラスメートが連携していじめっ子をいじめている光景を見た記憶はありませんか…?少なくとも自分は数多くあります。

②報酬がある

仕事にはお金が貰えたり、お客さんから感謝をされるというような報酬がありますが、いじめにも報酬があります。

それはいじめられっ子のリアクションです。いじめっ子はいじめられている子が苦しんでいたり、困っていたり、嫌がっている姿を見ると嬉しくなるのです。

わかりやすい例でいうとドッキリ番組があります。ドッキリ番組は古今東西存在していて、Youtubeで検索すればたくさん動画が出てくると思います。

あれはドッキリ番組だという趣旨をドッキリのターゲットに説明しているから番組として成立していますが、あれが度を過ぎたりすれば、いじめという部類に入ると私は考えています。

ドッキリ番組にも仕掛ける側の役割分担がありますし、一番視聴者が見たいのはドッキリを仕掛けられた人の反応です。

実際ドッキリ番組はバラエティ枠として視聴者の娯楽となっており、「ドッキリ番組の撮影」という仕事が存在しています。

先述した缶蹴りによるいじめでは、”缶を蹴られたときのいじめられっ子の反応”、ダチョウ倶楽部のおでん芸では、”上島竜兵の熱がる反応”がいじめっ子のみんなが求めているものといえるでしょう。

ここで出した例以外にも、みなさんが思い浮かぶものはたくさんあるのではないでしょうか?

③連帯感が深まる

これまで述べたように、仕事といじめは複数人のチームワークで行われ、報酬があるということを述べました。

仕事では大きなプロジェクトが終わった後や、年内の仕事が終わった後などに、居酒屋で仕事仲間と飲みながら、お互いを労ったりして、信頼関係をより深めたりしていきます。

それと同じように、いじめをある特定の人に何回も繰り返していくうちに、いじめっ子同士の絆が深まります。

逆に言うと仕事と同じように、ミスをしたり、仲間を裏切るような行為をすると、仲間外れにされたり、嫌がらせを受ける危険性も含んでいます。

まとめ

  • いじめは仕事のように複数人で行われ、役割が決まっている
  • いじめの報酬は相手のリアクション(苦しんだり、痛がっている姿)
  • 仲間といじめを続けていけば、仲間意識が芽生える。

おわりに

いじめられた経験談をブログやYoutubeに載せる人は多いですが、いじめをした側の経験談は(自分の知る限り)あまりネット上でみかけません。

いじめっ子はいじめをしたことを忘れる、ということも耳にしますが、いじめていた経験をネットに載せるのに抵抗がある人も多いと思います。

というか、ほとんどの人はいじめをした経験と、いじめられた経験があるのではないでしょうか?(そうでない方はすいません)

自分は別にいじめられている人に対して、「辛くなったら逃げていい」だとか、「気にする必要はない」、「やり返せ」というようなアドバイスをここでするつもりはありません。

ただ、「なんで人をいじめるのか」「いじめる側の人間は何を求めているのか」といったいじめの本質的な部分について思ったことを書きたかっただけです。

現在もいじめを受けて悩んでいる人もいると思いますが、「こういった考えもあるのか」と、少しでも参考にしていただけれたら幸いです。

それでは、また。

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この記事を書いた人

零細Web系フリーランス。旅・車・サッカー・スラブ好き。 関東田舎住みのアラサー。鹿島サポ。 海外45か国渡航。日本と海外のいいとこ取り生活をするのが目標

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